Uncaught ReferenceError: play is not defined

本サイトについて

サイト名の由来

サイト名はJavaScriptで単に「console.log(play);」を実行した際のエラーメッセージに由来しています。エラーが起こるのは、playという変数を定義せずに使用しているからですが、「Uncaught ReferenceError: play is not defined」という表示=遊びは定義されていないとは、確かにそうかもしれないと思ったのがきっかけです。

元々はpoiesis、つまり「制作」に焦点を当てたメディアにするつもりだったので、「poiesis is not defined」にしようとも考えたのですが、「制作」といってしまうとどうにも芸術寄りの色が濃くなってしまうきらいがあり、遊びのままにしました。とはいえ、使われ方の習慣が違うだけで、個人的に両者は似たものかなと思っています。

遊びと制作

「遊び」には、公園で遊ぶといった用法がありますが、他にも部品と部品の間に遊びを持たせる、といった用法があります。遊びを持たせることによって間(あいだ)を開く。ここで連想したのは、木岡伸夫の著作『〈あいだ〉を開く―レンマの地平』で、その中で扱われている山内得立の著作『ロゴスとレンマ』において龍樹の思想をもとに立てられたレンマ的論理(テトラレンマ)でした。
レンマ的論理(テトラレンマ)というのは、簡単に言えば4つ(=テトラ)の命題(=レンマ)のことで、下記の4つの命題を指します。

  • Aである(肯定)
  • 非Aである(否定)
  • Aでもなく非Aでもない(肯定でもなく否定でもない)
  • Aでもあり非Aでもある(肯定でもあり否定でもある)

一方で、「論理的に」や「ロジカルに」という時の論理は、一般的にはロゴス的論理(西洋的論理)、つまり二元論のことを指すことが多いです。二元論とは2つ(=ジ)の命題(=レンマ)であり、下記のジレンマのことです。

  • Aである(肯定)
  • 非Aである(否定)

ですが、ジレンマという言葉の例文を考えたとき、「ジレンマに陥る」という文章が真っ先に思いついてしまうように、ジレンマでは把握しきれないものがあるのではないかということです。一方でテトラレンマにおいては、いわゆる矛盾というものを非論理的なものとして排することなく考えてみることができます。

21世紀に入ってからは様々な分野でロゴス的論理ではなく、レンマ的論理を用いて思索していくような流れを感じており、私は「遊び」という言葉の中に、なにかその気配を感じているわけです。

遊びは本筋とは関係のない無駄なことだというような理解のされ方もあると思います。これは、結果や評価、利益を出さなければいけない資本主義下では真っ当な意見なのですが、それだけを見すぎては面白い部分を捨ててしまっていると感じます。その上、結果や評価、利益だけを最初から目的として設定し、重視するという習慣に浸かりすぎると、それらを生みださないもの=意味のないもの、と錯覚してしまう可能性がある。それは恐いことだと思います。

前セクションで「制作」ではなく「遊び」を選んだと書きましたが、記事を書くときは制作というものもキーワードとして抱え、それらの文脈にあるものも取り上げようと思っていますし、次に書く記事のキーワードも「制作」です。ただ、そこは脳内補完と言いますか、「遊び」で差し替え可能になっていくと思います。というのも、きっと遊んでいる最中、気づかないうちに私たちは制作しているからです。

制作と遊び、制作は何か生みそうな気配がするが、遊びは何も生みそうにない、そんな雰囲気があるからこそ、敢えてサイト名としては「遊び」の方を選んでみました。

このサイトに何か、私にとってもあなたにとっても、思うところがあれば良いなと思います。